こんにちは、相互オナニー大好き!な管理人・オナ丸です。
今回は「相互オナニー・ファン!夏の読書週間」ということで、文芸作品の中に登場する「相互オナニー」シーンを紹介しようと思います。
はじめに
取り上げるのは、哲学者・思想家でもあったフランスの作家 G・バタイユによる壮絶な官能小説『眼球譚』。
主人公の<わたし>とヒロイン・シモーヌの奔放な性の遍歴を描いた物語で、肛門性愛やら、スカトロジーやらが全編に渡って入り乱れ、挙句の果てには神様までをも冒涜する衝撃的な結末に至ります。
元々1928年に「オーシュ卿」という別人名義で刊行された作品で(134部限定)、バタイユの死後に彼の実名で再度刊行されたという曰く付きの作品。
本作の中で、相互オナニー・シーンは、冒頭いきなり登場します(※以下の文中に登場する写真は全てイメージです)。
「眼球譚<初稿>」の相互自慰シーン
16歳の<わたし>は、海岸で同い年の少女・シモーヌと出会います。
互いに性的な好奇心にあふれる二人は急速に心を通わせてゆきますが、そんなある日、シモーヌは<わたし>に対して奇妙な賭けをもちかけます。
たまたま、廊下の片隅に猫用のミルクを入れた皿が置かれていた。「お皿はお尻をのっけるためにあるのよ」シモーヌが言いだした。「賭けをしない?あたしこのお皿の上に座ってみせるわ。」「座れるもんか」私はやり返した、息をはずませて。-河出書房新社版『眼球譚<初稿>』(訳・生田耕作)p12-13より引用
「ミルクの入った皿に座る」。
この、冗談ともつかない不思議な行為に対して、なぜ<わたし>が「息をはずませ」たのか?
ポイントはこの日のシモーヌの格好にあります。
糊のきいた白襟の黒い学生服姿で、膝上まであるロングソックス。
そして、どうやら、スカートの中には下着をつけていないらしい・・・
つまりそれは「だって、そういうことしたらアソコが見えちゃうよね?それ分かったうえであえて言ってんだよね?」というきわめて挑発的な行為なわけです。
ですからここで<わたし>の気持ちを忖度するならば、彼の発言には「座れるもんか(座って欲しいけれども・・・」という反語的意味が加わっているわけですね。
で、二人は結局、この奇妙な賭けを実行します。
すこし長くなりますが、その部分を引用してみましょう。
恐ろしく暑い日だった。シモーヌは皿を小さな床几(=小さな折りたたみイス)の上に据えると、私の真正面に陣取った。私の顔をまともに見つめながら、徐々に彼女はしゃがみ込むのだった。ほてった臀(しり)を冷たいミルクの中に浸すさまはスカートのかげになって私には見えなかったが。こちらは頭に血がのぼり、身をわななかせながら、彼女の前に立ちつくしていた。いっぽう彼女は私の硬直した竿が半ズボンを突っ張らせるのを見つめていた。そこで私は彼女の足もとに腹ばいになった、が彼女は身じろぎもしなかった。こうしてはじめて私は、白いミルクの中で冷やされた彼女の<ピンク色と黒色の肉体>を目にしたのである。どちらも同じように興奮し、私たちはいつまでも身じろぎもせずにとどまっていた。突然、彼女は立ち上がった。ミルクが腿をつたって靴下にまで垂れるのが見えた。私の頭上に突っ立ったまま彼女は、小さな床几に片足を掛け、濡れた体をハンカチで丹念に拭き取るのだった、そして私のほうは床(ゆか)の上で身もだえしながらスボンごしに自分の竿を夢中でしごきまくるのだった。こうして私たちはほとんど同時に気をやることに成功したのだ、お互いに一指も触れ合うことなく。-河出書房新社版『眼球譚<初稿>』(訳・生田耕作)p12-13より引用
ちょっと耳慣れない言葉なので解説しておくと「気をやる」というのは「イク(=絶頂に達する)」ということです。
ようするに、上の引用文ラストは「2人で同時にオーガズムに達した」と言っているわけですね。
つまり、<わたし>とシモーヌは、「ミルクに尻を浸す」という、なんだかよく分からないがモヤモヤっとする淫靡な状況と、互いの痴態を見るうちに興奮し、イってしまったわけです。
お互いに一指も触れ合うことなく・・・
「竿をしごいた」という<わたし>の方はともかく、シモーヌ側には、直接、性器に触れたような描写はありません。
つまり、「<わたし>にあそこを見られている」という倒錯的な状況が、物理的な刺激と同等、或いはそれ以上の興奮として彼女を襲い、イってしまったわけです。
これぞ究極の「相互オナニー」ではありませんか!?
バタイユによる原書(出版時はロード・オーシュ名義)は80年ちかく前に出版されたものなのですが(初稿は1928年)、正直、この作品、とくにこの相互自慰のくだりのビジュアル的な仕掛けには、オナ丸、未だ興奮を禁じえません。
シモーヌの着けている衣裳の「黒色」と、ミルクの「白色」のコントラスト。
そして「学生服」や「ソックス」といったフォーマルなものを「猫のミルク」が蹂躙していく、という反道徳的なイメージ・・・
先述のように、このくだりは作品冒頭、しかもたった3ページほどの間の出来事です。
この部分だけならばせいぜい3分ほどで読めてしまうので、未読の方は、立ち読みでも構いません、書店なり、図書館なりで是非手にとってみていただきたければと思います。
ちなみに、作品中盤には、もっと直接的な「相互オナニー(女性同士)」場面も登場します。
嵐の晩、はるか崖上に聳える城の様な病院の一室に佇む少女と、彼女を救出しようとしながら叶わなかったシモーヌとの相互自慰・・・
衝撃的なラストシーンも含めて、相互オナニーファンなら読んでおきたい、必携の「古典文学」といってよいかも知れません。
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